この日は朝8時半過ぎに病院に到着しました。
既に母親は病室にいて座っていました。
父親、尿道を通す処置をしていたようで。
私は数日前から体調不良…というか、明らかにストレスやら何やらで食事がノドを通らず
朝は起きるのがやっと、フラフラ状態でした。
炊飯器の釜を開けて「おぇ」っとなるの、約5年ぶりでした。
つわりか!!と言うくらい、しょっちゅう「おぇおぇ」言ってましたもん(笑)
その体調不良な上に、お腹が弱い私なのに冷たいお茶を飲んでしまい、
病院に着いた早々、お腹を壊すという厄介な感じでした。
トイレから帰ると母親は病室にいなくて、父親の元にいました。
尿道を通された父親
「気持ちが悪いんじゃ。なんじゃこりゃ。するならする!って言えーや」
みたいなことを言っていました。
そのまま父親は麻酔で寝ました。
それが9時ごろ。
それから延々と母親と2人だけの時間です。
母親と
「これってさー。早く来る意味あったん?別におらんでもいいんじゃない?」
と何度言ったことか(笑)
それくらい私たちがいた意味が分からない。
ガンマの説明なんて前日までには終わってたみたいだし。
父親が戻ってきたのは11時ごろですかね。
もちろん眠ってます。
そして何やら器具が頭に刺さってました。
これに気付いた父親、きっと暴れるだろうなーと思い
「何時ごろに麻酔って覚めますか?」
って聞いたら
「知りません!!!」
と言われ…。
おいおい。分からんから聞いてるわけだし、だいたいの目安ってあるだろう。
平均的なお目覚め時間とかさ…それだけでを知りたかっただけなのに、
ちょうど、弟も来ていて、母親と3人で
「なんなん?あの態度。感じ悪いわー。なんなんよ!!」
と、これまた何度言ったことか。
父親は、その後も眠り続け、いよいよ処置の時間がやってきました。
一緒に行き、先生との話。
腫瘍は16個。
放射線の量が決まっていること、かなり厳しいことは分かりましたが、
私もポーっと聞いていたので、何をどう聞いていいのか分かりませんでしたが、
とにかく「厳しい」ということだけは分かりました。
そして一番大きな腫瘍は小さくなっても、今の状態が回復することは難しいと言われました。
あとは再発の可能性もあるということ。
正直、ため息しか出ませんでしたが、暗くなっても仕方ない。
足を突っ込んだ以上、進むしかない!
そう私は決めたので、ただ「がんばろう」としか思いませんでした。
父親に対して頑張ろう、母親に対して頑張ろう…というより、
私自身に「頑張ろう」って言っていたと思います。
ヒロとユウのお迎えが迫っていたので16時半ごろまで病院にいました。
その時間になっても父親は処置室から出てこず、母親1人残して帰りました。
その日は母親も病院に泊まりました。
(病院から暴れるかもしれない、徘徊するかもしれないから…という理由だったそうです)
結局、朝まで起きることなく、母親もぐっすり眠ったそうです。
途中、バイタルチェックとかで父親の体を触った時に
「やめーや!!」「もーえーんじゃ!!」みたいなことを言っていたそうですが。
そして翌朝、退院となりました。
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- 2017/02/04(土) 07:00:00|
- 父親の闘病記
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