このブログを始めたきっかけは“家を建てるため”のものでした。
土地の申請、工事中、入居前、入居後…その記録でした。
入居後、1年して双子を妊娠、出産。
それからは育児日記となっているブログです。
それはこれからも変わらないと思っていますが、今の私の心の中で
かなりのウェイトを占めていることがあって、
それを別のブログを開設して書き記していこうかなと思ったのですが、
日常のことを書き記していきたい思いもあるので、
育児日記と平行して書き記していこうと思っています。
ここからは、少々…いや、かなり重いのでスルーしてくださって結構です。
育児、双子、そういうのとはまるで関係ありません。
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先日、父親がガンの告知を受けました。
ステージで言うとⅣ。末期です。
余命宣告も受けました。
実は、その予兆はありました。
去年くらいから顔色が悪いなーと思っていて。
母親から
「足を引きずる」「すぐに疲れる」「手からモノを落とす」
そんな症状を聞いたのが今年に入ってから。
私には年子の弟がいるのですが、弟とは訳があって3年以上音信普通でした。
その弟と連絡を取りたいと言ってきた父親。
でも会うとケンカになるだろうから、私に任せてほしいと弟と連絡を取り続けていましたが
やはり連絡は取れず、結果的には弟から母親に連絡が入ったそうです。
いろいろなわだかまり、いろいろな葛藤の末、弟と和解…というか、
親子ですから言葉は要らなかったみたいです。
弟も母親から事情を聞き、そして実際に父親と会い、覚悟を決めたようで、
弟が病院に連れて行ってくれました。
そして告知を受けました。
私自身、覚悟はしていました。
きっとガンだろうな。タバコを吸うから肺ガンだろうな。
案の定、肺ガンでした。
それが脳転移していました。
脳転移していたため、足を引きずる、手からモノが落ちる…その症状が出ていたようです。
母は
「軽い脳梗塞と貧血程度かな」
と思っていたようで、まさかの結果に驚き以上…言葉を失ったと思います。
一連のことを聞いて、私は病院に行きました。
その時のブログがこれ →
☆入院と聞いていたので、ある程度の準備をして行きました。
ユニクロで下着やパジャマを購入後、いつも仕事へ行く時に通る道を通って行ったのですが、
ふと「あれ?ここどこだ?」と。
ここまでどうやって来たか記憶に無いというね。そして、場所が分からないというね。
こういうこと、あるんだな~と。
病院入口で母親と会い、母親は泣きました。
私は我慢。。。我慢しました。
「泣いたらいけん。絶対に泣いたらいけん」
そう母親に言って、病名を聞きながら父親の元へ行きました。
SCUという脳卒中集中治療室でした。
病院着を着ている父親を見て、頭が真っ白になりました。
落ち込んでいるし、小さく見えました。
でも、泣かない!泣いたらいけん!あくまでも普通に!それだけでした。
とりあえず「はよ、帰ろうで」「はよ、治そうで」それだけ。
父親が入院した日、家族4人、3年以上ぶりに揃いました。
病気が家族を引き合わせてくれた…そう思いました。
あまり長居も出来ない場所なので、みんなで病室をあとに。
その時、母親が父親の肩に手を当てて、
ほんの数秒だけ頭を下げて「がんばろう、治そう」そう言いました。
父親は何を言う訳でもなく「おぅおぅ」と返事だけ。
それが忘れられなくて。
その日、父親は何を考えていたんだろう。何を思ったんだろう。
初めての入院。初めての告知。
それを考えると今でも胸が苦しくなります。
病院着を着て、ベッドに座って、点滴を受けてる姿…一生忘れられないと思います。
それから母親と車に乗って実家に帰りました。
弟も実家に。
3人で話をしました。
今までのこと、これからのこと。
泣きながら、時には冷静に。
そして弟が実家に泊まり、私は家に帰りました。
家に帰る車の中、私は泣きました。
何で泣いてるのか分からないけど泣きながら運転をして帰りました。
ショックなのか、仕方ないと思っているのか、現実を受け止められないのか、さっぱり分かりません。
何も考えられないとはこういうことを言うんだろうな…そんな感じでした。
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- 2017/02/01(水) 07:00:00|
- 父親の闘病記
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